福原の熱戦

福原対オランダのリー
ポイントを先取され、勝負あったかにみえたが、そこから驚異の粘りを見せた。
最後は相手のオーバーでゲームセット。
見ているだけで苦しくなる試合だった。
大事なことは「絶対大丈夫」だと信じること。そこからわずかな光明を見出すのが現在の福原の強さなのだろう。

ひーとつ叩けば僧帽弁はふたつ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120711-00000082-jij-soci

時事通信さま、おかしすぎます。

 聖路加国際病院(東京都中央区)で行われた三笠宮さま(96)の心臓手術は11日午後、無事終了した。
中略
 川副医師によると、手術は午後1時38分に始まり、同4時10分に終了。二つある僧帽弁のうち、機能していない片方の一部を切除することで弁の機能を回復させたといい、手術前は血液が半分程度逆流していたが、現在はほぼ正常に戻った。
中略
 三笠宮さまの僧帽弁の機能不全は6年前からで、弁と左心室の壁をつなぐ腱索(けんさく)が切れていることが原因。たびたび軽い心不全を起こして入院していたが、逆流する血液の量が少なかったことなどから、手術はしていなかった。


うほっ、やんごとなき方は、僧帽弁が2個もあるのか?
そんなはずないですよね。こういうことですお。
http://www.cardio-vasc.com/plasty.html
MICSで切れた側の弁尖を切り取ったのかな?
いずれにせよ、96歳の心臓手術、ご苦労様です。

負けるもんか

頑張っていれば、いつか報われる
持ち続けていれば、夢は叶う
そんなのは、幻想だ

たいてい、努力は報われない
たいてい、正義は勝てやしない
たいてい、夢は叶わない
そんなこと、現実の世の中では、よくあることだ

けれど、それがどうした
スタートは、そこからだ
新しいことをやれば、必ずしくじる、腹が立つ
だから、寝る時間、食う時間を惜しんでなんどでもやる
さあ
きのうまでのまでの自分を超えろ。



でも、勝てた試合だったよねぇ

認知症について

なぜか、小生は認知症患者とかかわりが多い。
一口に認知症といっても、実に様々なタイプが存在する。
最も強烈な例では、物取られ妄想が昂じて、天井にお札を張り付けた方がいた。
天井にヤマト糊でパッチワークのように貼られたお札。
それを見て、彼は安心して眠りにつく訳である。



ここまで、認知症が社会的な理解を得る前は、介護者の苦労も並大抵ではなかった。
ある方の言葉。
「最近は、ばあちゃん(姑)が可愛く思えてきたんですよ。」
これは、自分が医者になりたての、25年前くらいだろうか。
心の底から、頭が下がる思いだった。



最近では徘徊があればケアマネが飛んでくるし
ショートステイもあるし
メマリーも抑肝散もリスペリドンもあるし
レスパイトという概念もあるし
あのころとは、隔世の観がある。


認知症の母親を撮影し続ける映画監督がいた。
ああ、その手があったかと思ったが、
いざ自分の親が認知症になって、
淡々とビデオで撮影する心境になれる方はまずあるまい
考えてみれば認知症とは非常に興味深い状況だ
思考力が均一に蝕まれるというよりは
無事の部分も結構残存している。
やはり、肉親に対する愛が動機としては大きいのだろうが
人の心の不思議さを研究する手法としては
かなり面白いと感じた。

今ふたたび日本のがん治療を問う

がん治療というのは難しい
がん登録の重要性を訴える番組を見た。(これが肝)
ランキング本の問題点とは、チェリーピックングにつながるだろう。
某女性キャスターは「どこの病院にいけば安心なのか?」と語ったが、
放送で語る言葉としては、ちょっと安直な気がする。
どこか、彼女の言葉は他人的なのだ。
それ以外、小宮山さんをふくめ、その他のコメンテーターは立派な気がした。
どうも、某女性キャスターは、、、これ以上の批判はやめとこう(笑)。

世の中には、まれな病気がある。
あるいは、早期診断が困難ながんも多い。
ふつう、われわれ医師は、患者さんの訴えを確率で推測し、診断を試みる。
後医は名医という言葉もある
個人的な経験では、前医をけなす患者さん・ご家族とは、あとあとトラブルに
至る可能性が高いと思われる。

ただ、私はけっこう楽観的である。
医療技術、すなわち診断にかかわる機器も、治療薬剤も、私が医師になった時代とは
比べ物にならない。
いつもお世話になる病院の若い先生方は非常に熱心である。
提案だが、やはりがんは限定した施設で治療すべきだが、
そこで得られた経験や知見を、現場にフィードバックする機会をもっと設ける
べきであろう。

いい医者を求めて、転々とするのもいいだろう。
でも、必要なのは、診断技術の向上とネットワーク化。
先ほどのキャスター批判と矛盾するようだが、
この疾患はこの病院、というのを一次的な医療機関にアピールすべきだろう。
だって、自分が診断したがん患者の9割は、自分ががんだと思って
受診したわけではないもの。
かって2次的医療機関に勤務して、今は1次的な機関に勤務するものの印象
としては、医療機関同士の信頼関係も重要かな、と。
医者同士の、かな?


標準的な治療が定まっていないがんもあるわけだし、
ドラッグラグも解消すべきだろうし、
がん患者に対する心理的なフォローを専門とするスタッフを病院が
抱える余裕も必要だろうし。

がん細胞というのは、基本的に宿主のDNAと同じ遺伝子を持つ細胞である。
だからこそ、治療が難しいといえる。
まあ、根本的な対策とは、早期診断であろうけど。

中村祐輔氏がシカゴに移った話を初めて知った。
新薬の開発には多大なリスクを伴う。
イレッサ訴訟の件でも、それで多大な利益を享受している患者さんを知っている
だけに、その意義を理解できない。
理解出来ないというのは言い過ぎだが、薬には功罪があり、抗がん剤はその点
において、非常に微妙なのだ。経験が必要だ。そこを理解してほしい。
難しいことなのだ。
実際に、かって患者さんから「実験でも何でもいいから、効く薬を使ってほしい」と懇願された。
現実には、非常に難しい話だ。
その理由を考えてほしい。
堀田氏がいったように、今の日本の医療者の努力が患者さんの幸福感につながらないなら
それはとても不幸な話と思う。
それは根源的にはがんが不治の病であり、自己との闘いだからだと思う。
そこで、哲学的な知恵というか、人生観が重要に思う。


長生きすれば、誰でもがんになりますよ。うふふ。

新渡戸と内村

新渡戸の番組を見た。
松山事件の発端もジャーナリストである。
信頼を確信し得ぬジャーナリストの前で本心を語るのはやめるべきという当然の帰結である。

内村の教えを受けた無教会主義が韓国に残っていると知った。
何がしかの自分の生きた証を後世に残すために極端な行動に走る人間もいるが
信念に基づいた行動とは地道で持続的で楽観的な行動だろう。

高校時代にデンマルク国の話を読んだ。
大半は忘れてしまったが、一個人の自由とは、他人に迷惑をかけないこと
という考えは、強く同意する。
なかなか難しいことではあるが、そうありたい。

MSは実現可能か?

運動エネルギーは速度の2乗と質量に比例する。
換言すれば、3倍の速度を発揮する機体は9倍の出力のエンジンなりスラスタを有することになる。
有名な赤い機体も、搭載された核融合エンジンは976KWだったわけで、エンジンそのものは機体各部に設けられたモーターの電力を供給するにすぎない。件のパイロットはピーキーで稼働時間の短い機体のスラスタを有効に活用し得たがゆえの戦果であろう。
ちなみに、福島原発1号機の出力は460000KWであった。
さて、RX−78を作成するにはいかほどのお金がかかろうか、という議論する向きがあるようだが、まず1380KWを発生し、かつ戦闘機に収納し得るサイズの核融合炉を開発することが先決であろう。
もんじゅに1.2兆円をつぎ込んでも、いまだ実用化すらおぼつかないのである。
シリンダー型のスペースコロニーをつくるのにどのくらいかかるのか?
星新一だったか、北杜夫だったかわすれたけど、人類は太陽圏から出ることはないだろう、と言っていた。多分30年ほど前。
夢を大風呂敷で語るのもいい。
かって、ウイリアム・ヘンソンという人物が、空飛ぶ蒸気船という構想を1840年ごろ打ち立てた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
当時としては荒唐無稽。各界の偉いどころから突っ込み満載にもかかわらず、彼はこれで起業しようとしたから驚く。
それから170年が過ぎた。カーボンファイバーの骨格をもつジェット旅客機が舞う時代をヘンソンは想像できただろうか。
ちなみにヘンソン機のスパンは46m、787は52mである。
夢を語るのはいい。
ただ、そんなピュアな夢しか語れないくらい現実はどうしようもないのかな、と考えると、うらさびしい。
政治をおもちゃにして、選挙と権力闘争に明け暮れる人のほうが、了解可能に思えるくらいだ。

おっと、言い過ぎたかな、これは失敬。