生きるべきか死ぬべきか

今の若者は、社会に希望が持て無いという。
死ぬほど苦しんで、生きていることに意味を感じられず、どうしていいか分からない。
20歳台の自殺が年間3000人か。20歳台のべ10年間で3万人。
とすると、自分は、そのうちの4人を知っていることになる。
これはかなりの確率だ。
そのうちの2人は、感受性が豊かで、愛すべき人だった。
彼らが肯定感の欠如の中で生きていたことに気がつかなかった。
本当の彼の気持ちに気付かなかった。


今なにやってんの?
その質問が知らぬ間に傷つけていたとしたら?
まったく気がついていなかった。


生きる意味なんて何なんだろう。


リストカットで気持ちが落ち着く人がいる。
死にたい、と思った時にどうすればいいんだろう?
自分がいていい場所ってどこだろう?
難しい。

生きるべきか、死ぬべきか?
その問いに、ある作家はこう答えています。

死にたい奴は、実はよりよい生き方を希求しているんだ。
だれよりも、生きることに真剣なんだ。

自分自身、ある時期すごくつらかった。
そこで、ある浮世離れした世界に行ったことがある。

どうして自分死ななかったのだろう?
多分、運が良かったのだろう。
死ななくてよかったのか?
今言えることは、死と生の境目にいた時間が、すごく重要だった、ということ。
それまで生きてきた意味とか、
自分のしたいこと、できることの境目を見出して、
自分が生きる隙間を見つける覚悟を見つけた気がする。

自殺したい人は、思いっきり危ないことをしたらいいと思う。
ああ、そうだ、納得。             死の瞬間、
そう思えるなら、死んでもいいんじゃないだろうか。

具体的な「それ」を明示できないのは、申し訳ないのですが。