西城秀樹さんが亡くなった

西城秀樹さんが亡くなった。
Blue sky blueという、無上にさわやかな曲の歌詞がああいう内容だったのは、大人になって初めて知った。
西城秀樹さんといえば、ザ・ベストテンである。
そのベストテンの久米宏さんがラジオで語っていた。
彼の寸分過たぬ着こなしは、奥さんの麗子さんあってのものらしい。
彼はニュースを読むアナウンサーが、サイズの合ってないワイシャツを着ていると、気になって仕方がないそうだ。
そもそも、ファッションを意識するニュース・アナウンサーは久米さんが最初だろう。
彼が還暦祝いをしようかという話になったとき、いっそ本を出さないかという話になり、旧知の有能な編集者がまとめて一冊の本になった。
なにしろ40-50年前の話である。ラジオの聞きかじりの内容で恐縮だが、新人アナウンサーの彼が無謀にも某国営放送局に突入して、最終的に得た産物が受付のお姉さまの直筆サイン、というくだりは大笑いした。
流石の彼も、お祓い事件とか、記憶があいまいな事象があったようだが、仕事場に蓄積されたスクラップを基に記憶を掘り返して、一冊にまとめたそうだ。なかなか内容濃厚で、読み応えがある。
毀誉褒貶、彼に色々な印象を持つ人が多いと思うが、読んで損はないと断言する。
同じ編集者が関わった「ミステリアスな結婚」も、いずれ読んでみよう。

ぼくにはとてもできない

厚生労働省が2013年の「医療施設調査・病院報告」の概況を発表しました。
ざっと斜め読みしてみました。
今日、久し振りに赤とんぼを見かけました。
日本医療にも、秋の気配が漂ってまいります。


http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/iryosd/13/dl/1-1.pdf
一般診療所も歯科診療所も増え続けています。病院は横ばいです。
ご覧頂きたいのはこの12ページ目です。
一般病院で小児科を標榜している施設がこの5年間で2900から2680に減少しています。
病院産婦人科は1300から1200に減少しています。


2年ほど前、ある病院の経営母体が変わりました。
それまで地域の小児救急、産科を担っていた病院です。

建前上は医療体制は変わらないとしながらも、大幅な人員減に見舞われました。
なぜそうなったか、ここでは問わないでおきます。
注目点は、以前の体制で、小児科若手の当直料が5000円であること。
小児科で救急を受け付ける病院の当直は、事実上夜勤であるのは自明です。
5000÷16時間=312.5円
現在の最低賃金は667円から888円といったところなので、明らかに違法である。
その病院の小児科の若手は、撤退を切歯扼腕、悔しがったという話です。


誠に恐縮ですが、見て見ぬふりで小児医療の充実を期待する方がおかしいと思う。
あまつさえ、小児科無料を唱える方々がいる。


小生の言いたいのは、お金の問題ではないのです。
前述の小児科若手の心意気に、応える何かを地域の受益者はしたかということです。
ある病院の小児科が無くなったなら、他に行けばいいや。
すると、残った病院が地獄になるのは経験済みです。
小児科をフォローするため、内科医が動員されます。
すると、外科系は何をしているんだ、という話になります。
病院全体の雰囲気が怪しくなってまいります。
すべて経験済みの話です。目新しくもないです。


小児科医が過労自殺しても、まともに労災認定すらされないような国。
(あの件はすったもんだの末、結局和解になったとか。)
そこで、福島で産科医を続けているK先生に心底頭が下がります。
故佐藤章教授が妊産婦死亡の遺族を支援する活動を立ち上げたのは周知のとおりです。
ぼくにはとてもできない

生きるべきか死ぬべきか

今の若者は、社会に希望が持て無いという。
死ぬほど苦しんで、生きていることに意味を感じられず、どうしていいか分からない。
20歳台の自殺が年間3000人か。20歳台のべ10年間で3万人。
とすると、自分は、そのうちの4人を知っていることになる。
これはかなりの確率だ。
そのうちの2人は、感受性が豊かで、愛すべき人だった。
彼らが肯定感の欠如の中で生きていたことに気がつかなかった。
本当の彼の気持ちに気付かなかった。


今なにやってんの?
その質問が知らぬ間に傷つけていたとしたら?
まったく気がついていなかった。


生きる意味なんて何なんだろう。


リストカットで気持ちが落ち着く人がいる。
死にたい、と思った時にどうすればいいんだろう?
自分がいていい場所ってどこだろう?
難しい。

生きるべきか、死ぬべきか?
その問いに、ある作家はこう答えています。

死にたい奴は、実はよりよい生き方を希求しているんだ。
だれよりも、生きることに真剣なんだ。

自分自身、ある時期すごくつらかった。
そこで、ある浮世離れした世界に行ったことがある。

どうして自分死ななかったのだろう?
多分、運が良かったのだろう。
死ななくてよかったのか?
今言えることは、死と生の境目にいた時間が、すごく重要だった、ということ。
それまで生きてきた意味とか、
自分のしたいこと、できることの境目を見出して、
自分が生きる隙間を見つける覚悟を見つけた気がする。

自殺したい人は、思いっきり危ないことをしたらいいと思う。
ああ、そうだ、納得。             死の瞬間、
そう思えるなら、死んでもいいんじゃないだろうか。

具体的な「それ」を明示できないのは、申し訳ないのですが。

NO MUSIC, NO LIFE

佐久間正英さんと言う方は、頭の片隅に残っていた。テレビも、最近は文字媒体もろくに見ない私が。

何しろ神様みたいな人で、彼がプロデュースすれば、何でも売れちゃうみたいな。
そういう、ミダス王みたいな人、という認識だった。
これは失礼な言い方で、彼が認めたものは売れるのだ。彼は腕の確かな音楽家であり、それゆえ確かな目を持っていた。


だから、さきほど見た番組で彼が61歳でお亡くなりになっていた、スキルス胃がんで、脳転移で見つかった。
と聞き、なにやら壮大な物語をネタばれで最後からパラパラめくっているような感慨を感じる。

まさに、朝(あした)に紅顔ありて夕(ゆうべ)に白骨となれる身だな。

彼のブログは非常に興味深い内容だった。
人生の最後の時を生きる姿として、実にすがすがしいものを感じた。
また、現在の音楽に対する危機感、問題意識は、その通りだと感じた。
http://akb48taimuzu.livedoor.biz/archives/36616445.html

なにしろ、かってヒットメーカーと言われた人間で生き残っているのはごくわずか。
産業ロックみたいな恐竜たちも、終焉の時を迎えているのだろう。

彼の予言の真意は、そうした売れるための音楽は存在価値を失い、
本当に価値のあるものが生き残っていく。
ただし、それを媒介する人たちには、現世的な栄光も利益も期待できない
といったきわめて現実的な視線なのだ。
それにしても、世界的に見れば、まだ、日本の状況は恵まれているのかもしれない。

思うに芸術と言うやつは、何の役にも立たない。
高校時代、下手なギターを操っていた時、オヤジにひややかに言われた。
おまえ、それで食っていけるつもりなのかと。
限りなく無駄。人体における虫垂みたいなもの。
それでも、それが無い世界とは、随分さびしいものでしょうね。

NO MUSIC, NO LIFE

Marvin Gayeの命日

今日はマーヴィン・ゲイさんの命日。
彼が亡くなって30年目です。
彼に想いをはせるとともに、世界の平和を祈りましょう。
我々が68年間平和を守り続けたことを誇ろうではありませんか。
このことは、誰にも非難されるいわれはないはずですから。


Mother, mother
There's too many of you crying
Brother, brother, brother
There's far too many of you dying
You know we've got to find a way
To bring some loving here today, yeah

Father, father
We don't need to escalate
You see, war is not the answer
For only love can conquer here
You know we've got to find a way
To bring some loving here today, oh

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me so you can see
What's going on, what's going on
What's going on, what's going on

Mother, mother
Everybody thinks we're wrong
Oh but who are they you judge us
Simply 'cause our hair is long
Oh you know we've got to find a way
To bring some understanding here today, oh

Picket lines and picket signs
Don't punish me with brutality
Talk to me so you can see
What's going on, what's going on
What's going on, what's going on

コウノドリ

コウノドリという漫画が評判のようで、読んでみました。現時点で3巻まで出ているようです。
ここ10年ほど医療の世界で起きてきたことを知る人なら(まあ、ここに来るような人なら説明は不要ですが)
「あ、あれはあの事件のことを言っているんじゃないか?」と分かるはずです。
それが教訓として(かといって嫌みはないですが)かんで含めるように語られていきます。
以前のエントリーでも医療ドラマの質に関して嘆きましたが、本作は、真実を損なっていません。でもドラマになっているんです。以前某先生に「現場そのものをドラマにしたらいいだけの話」と言われましたが、まさしくそれがなされていると感じます。きっと作者も医療監修の人も、ちゃんとしているんでしょう。私の直感では、たぶん四宮先生が「その人」に近いのではないかと思います。周囲の人物群も魅力的ですし、今後が楽しみなマンガです。

頑張ってくれて、ありがとう。

私はスキー競技と言うものを知らない。
でも、上村選手の事は知っている。
長野大会の時は高校生だった。えらく可愛い子がいたもんだ、と思った。
その大会では、別の日本選手が金メダルを取った。

今回の上村選手の演技は、明らかにそれを凌駕したと感じた。
あれから16年たったのかと思う。
時の流れを感じます。

で、モーグルです。
決勝に進めるのか?上村選手は6位で決勝進出を決めます。
実はその時勝負は決まっていたのかもしれません。
しかし、しかし、
あの時、スキーなんぞに全く興味も無かった私が
何と言いますか、胸の奥底から、サッカー日本代表
最初のワールドカップ進出を決めるか決め無いかの
あの興奮を感じたのです。

そして、決勝のあの試合。
カナダの3姉妹。すごかったです。

そして、最後のアメリカの選手が滑った。
彼女も選手として全力を尽くしたと思います。
そして、なんだかバランスを崩した瞬間に、
私はガッツポーズをとっていました。

上村選手の、そう、悲願のメダルを確信したんですよ。

それはあさはかなことでした。
私はモーグルスキーと言う競技を知りません。

でも、上村選手が、目を真っ赤にした上村選手が
あまりにもさわやかなコメントを残したことに
号泣いたしました。
あたかも 星飛雄馬と抱き合った伴忠太のように。
なんということでしょう。

上村選手も銅メダルを一瞬意識したのでしょう
でも、目の前を滑って行ったメダルよりも
なお価値のあるものを彼女は手にしていたのです。

これを泣かずに見よと言えましょうか。

言っておきますが、私はスキーのことが分かりません。

それでもなお。

感謝しています。

頑張ってくれて、ありがとう。