俺のどこかに20歳がある

最近ブログの難しさを痛感しています。

薄暗い下宿屋「洗濯舟」で、酒を飲みながら議論した頃を思い出します。
誰かを徹底的にやりこめることを旨として、一知半解な言葉に振り回されていたころ

年長の「ヌシ」が、本棚から一冊の本を取り出し、
「この本がどういう内容か」
と、一同に問いただします。
普段は愚鈍にみえ、やり込められていた同級生が、
その難解な哲学書の一説を滔々と論述したことに
一同驚き、恥入ったことを思い出したり。


ブログ上でものをいうことの難しさを痛感します。
ネットを捨て、書を読もう。


これが、最近の合言葉だったりします。

当直医とCIWS

当直の翌日は、眠い。とても眠い。
私はどちらかというと、寝ないでも平気な方だと思っていた。
でも、夜中に1時間ごとに患者さんがこられたら、翌日はきつい。
当直医とCIWSって似ていると思いません?


当直医は、患者来院から初回治療まで短時間に対応できる即応性と、高い診断精度及び疾患を確実に治療できる高能力が求められます。多発外傷を有する重症患者に対しては、1人の当直医が対処しても、循環動態など十分に維持できなければ、急速に悪化する患者病態がそのまま生命の危機に(=訴訟の可能性に)直結してくる可能性があります。
なんたって、自分の専門分野以外の急患でも、救命できなければ裁判で負けますからね。リンク先の記事って6年前っすよ。3年どころでない!!


で、ほとんどのCIWSって、ほんの数10秒ほどで弾丸切れになります。換言すれば、そういう状況はすでに絶望的といいます。


悲しいかな、日本の現状では、最後の手段である当直医に余りに多くの負担と責任をかぶせすぎています。
偉い人にはそれがわからんのです

この世の何%?

私には、どうしようもない問題というものが存在します。
ちっぽけな島一つをめぐる国家間のいさかいや、
それが原因で起きる暴動や略奪や
他国で行われている歴史教育や、
悪意に満ちた軍隊が出てくるドラマや映画や
そんなものに対して私が出来ることはないでしょう。
それどころか、自国の報道機関に対しても私が出来ることはないでしょう。
おそらくどこの業界もそうであるように、マスコミにも

  1. 5%の超優秀な方
  2. 15%のまずまず勉強熱心の方
  3. 10%の我慢出来るレベルの方
  4. そして残り70%の、どれにも当てはまらない方

という図式が成り立つのでしょう。
受け入れ拒否報道に関しては、もうどうしようもないな、と笑っています。
中村ゆきつぐ先生のブログ拝見しました。まじめな方だなあ、と思います。これだけのコメントに一つ一つ返答される点においては、間違いなく5%です。
どのみち、勤務医の生活なんて、誰も想像もできないでしょう。
携帯電話が鳴ります。
誰それさんの抗生剤の点滴が明日からありません、とナースが言います。
それは指示書にちゃんと「本日で終了」って書いたからね、と言って切ります。
また携帯が鳴ります。
誰それさんが外出したいってきます。
だめです、と言って切ります。
また携帯が鳴ります。
誰それさんが、退院したいと言います。言う事をききません。
そこで私は諦めて、分かった、15分後に行くとため息をつきます。
家族に、食事が出て来たら食べて、お金を払って、タクシーを呼んで店から家に帰る様に言い残して。
食べられる事の無かった、でもお金は払うことになる私の食事。
それがいつもの休日の光景でした。
かくのごとく、命に関係のない様な些末なことが、24時間休み無くふりかかってきます。
これが命に関わる事だったら、どのようになるかは、ご想像に任せます。

そんなことも分からないで医者になったのかとお笑いの方もいるでしょう。
そうです。私自身、医療スタッフたち、患者さまたち、およそこの世の人々すべてが例の図式

  1. 5%の超すばらしい方
  2. 15%のまずまずの方

以下略

に当てはまってるなんて思いもしなかったです。
でも、PHS、携帯が生活の一部となり、状況は確実に暗転しました。
独身で若い頃なら、日がな1日病院で過ごしたり
医局のソファーで目覚める朝も乙なものだと思いました。
医者ってこんなものだろうな、と思って25年やってました。
自分の時間もない
医者以外の友人もいなくなった。
医学書以外の本も読まなくなった。
趣味もなくなった。
気がつくと、心の中の草花は枯れ果てていました。
そういう状況でも、30%位の人は頑張っちゃうんだな、と想像します。
多分私は「残り70%の、どれにも当てはまらない人」でしょう。


お前らは、命を背負う商売をしているんだ。
そんなくらい、当たり前の話だろう。
そう思っている方は、世の中に沢山いらっしゃるでしょう。
何パーセントぐらいでしょうか?

怒りでなにかを歌ってもむなしいだけ

ここ2-3年の目標
沖縄のロングライド
プライベートな時間の充実
息子たちとの交流
猿ものは追わず、狂ものは拒む


こんな世界なんて潰れちまえばいい、なんて言わないよ
と言える自分

あ、折れちゃった、おれちゃった

松江赤十字病院で救命救急の佐藤部長が6月末で退職されるそうですね。
年間2万人の受診者がいて、たまりかねて時間外選定療養費を設定したが、後の祭りみたい。
下記の様な事を言う人もかーなーり、いるみたいですし。

今日、子供の事で救急外来に行ったら4200円支払いになり、申請したら返ってくるか聞いたら、自費なのでこれは返ってきませんと言われました。
幼心に、あめ玉が喉にひっかかり、誰かに足を持って逆さにされた記憶があります。呼吸困難感と恐怖と飴玉が口腔内に落下した時の安堵感と。息が出来るってこんなに素晴らしいんだ。あの時あそこにあの人がいなかったら、そうしてくれなかったら、小生はこの世にいなかったのかも知れません。だ・か・ら
別に救急車を呼ばれた事を非難している訳ではないんですヨ。
昔はそうだったって話。少子化の今とでは話が違いますしナ。多分そういう発想がそもそもなかった。
結局、安心感は金でしか買えないかもしれないし、結構高額かもしれない。
でも、現状ではそれが必要なハードルかもしれない。
解説された方、有難うございます。


小生の勤め先にも「夜中に熱が出て日赤に行ったら、ヨンセンエンも取られた!」と怒り心頭の方がいらっしゃいます。
笑顔で「ごもっともですネー」とだけ答えています。無論、病院の対応が、です。

子供の医療費は昼だろうが夜だろうがタダが当たり前、という意識を皆が持ってしまうと、それを支える人たちの事情を忘れがちになります。悪いことに、患者さま方の要求は青天井かもしれない。「当たり前のことさえしてくれればいいんだ」って言葉の意味の怖さって、分かりますか?

結果、医療体制なんてものは、モチベーションでもっている面も大きいですしね。

大分前にこんなの(小児科無料化で起こること)書いてたんだね。もう5年になるんだ。

いわゆる「幸福な家庭」の脆弱性

類まれなる犯罪者が、獄中で自分で死んでしまった。誠に残念なことだ。色々な取り調べのしようはあっただろうに。彼女自身が自己を如何なる存在と言語化しえたのか、興味は尽きないのだが、その術は彼女自身により永遠に断たれた。


ある意味、彼女は人心操作という面でものすごい天才だったといえる。
彼女は、通常我々が接する精神病患者乃至境界型人格障害とは、明らかに異なる。
その種の患者さん達は、攻撃性を自己およびその肉親に一見無作為に向ける。
つまり、自傷行為とか家庭内暴力とか、DVとかだが、多くの場合、その対象は愛憎表裏一相で、衝動性をコントロールできない結果、自滅に至ることが多い。
件の彼女の場合、破壊の対象を思うままにコントロール可能だったのが興味深い。
彼女は巧みに対象を選択でき、とことんいたぶりつつ、自分は安全地帯にいることができた。
持続的存続可能ないじめっ子とでも言おうか。
それまでまったく関係のなかったはずの人々を巻き込んで、強引に関係性と言うか
因縁をつけて、「家族」に入り込んでいって、心理的な操作を及ぼす。
一切自己は損失を被らない形で、対象をぼろぼろにしていく手段手管が見事だ。
おそらく彼女自身、その行為というか悪魔性と言うか本質的な意味を自覚していたのだろう。
天才ゆえ、彼女は自分の安全を疑うことはなかったのだろう。
と同時に、釈然としない想いを残しつつ、すべてが無かったかのように忘却のセメントで
塗り固められるように事件そのものが地中深く埋められていくような気がする。
すごく不気味だ。おそらく、もっと深い闇がかかわっているのだろう。

同時に驚くべきことは、いわゆる「幸福な家庭」の脆弱さだ。
彼女が如何に手頃な物件を物色したとはいえ、当事者達に何かやりようは無かったのだろうか?
そこまで言うと、言い過ぎだろう。
おそらく、我々のすべてが、心理的操作の被害者になる可能性がある。
そう自覚しておいて、過分ではない気がする。

広範発達障害のピアニスト

野田あすかさんという方ですね。
腕にはリスカのあとがいっぱい。
二次障害とか、フラッシュバックとか、
たぶんお父さんの話は氷山の一角。
まるで、幼女が成人してしまったかのような人だ。
番組で、ぼろぼろの状態で「亜麻色の髪の乙女」を弾くのだが
不覚にも涙してしまった。