相互理解ということ

某知人と話をして、愕然としたこと。
彼は終戦の日を正確に知らなかったのです。
理由は、両親も教師も教えてくれなかったから、だと。

彼の名誉のために言いますがが、大学院まで行っているのです。
きっぱり理系の人間であります。

現在の日本における歴史教育というのは、
過去の一切の否定&忘却なんでしょうか?
あるいは、死んだ人たちの怨念の影におびえるべき物なんでしょうか?

どこかの国の首長が、
日本は過去の歴史に学ぶべきだと主張しているそうです。
文面だけ取れば、まさしくその通りだと思います。
日本は、過去の過ちから学ぶべきだと。
その通りであります。
確かに日本はある時点からおかしくなった。
多分、日露戦争のあたりから。
しかし。
その某首長に言いたいのは、こういうことです。

「日本は、敗戦後戦争を否定し
一貫して世界平和を願い貢献してきた。
少なくとも自分たちはそのつもりだし、
非戦にプライドを持ってきた。
そのことに対する敬意は忘れないでね」と。

それなしに、若い世代達の友好はなしえないでしょう。


そういった国々の文化云々で、
若手俳優の発言が
騒動を巻き起こしているのは小生でも知っているのですが、

日本のある音楽家が当の国で意外に人気らしいです。
The Paris Matchといいます。

どこかで聞いた名、という方、
スタイル カウンシルが出てくれば鋭い。


一部でThe Style Councilがある種の音楽のコピーと評されたように
The Paris Matchも一種のコピーかな、と思います。
それが当の某国で受けているのも面白い気がします。
彼らの音楽は、単なるコピーではなく、
純度を高める試みと理解しています。


思うに、友誼とは、ある種の模索のような気がします。
互いへの礼と敬意を失わないこと。
そして、自分自身を高めあう意思のような。


過去は厳然として我々の前にあるのですが、
そこから自由な翼を広げて新たな世界を切り開いていく
それは、年寄達にはちょっと難しいことでしょう。


我々の戦後の歴史は、過去の全否定から始まりました。
近代史については教師達からは何も教わりませんでした。
教科書の記載もわずかですし、受験に何ら関係ありませんし。


小生、患者さんたちから、診療の合間に話を聞くのですが
満州から逃げてきた人々
戦死した父や兄の事を語る老婆
それは、きわめて稀少な、貴重な存在です。
大多数の年寄り達は肝心なことを語らずに消えていきましたから。


でも、僕らの世代にも
自然に自分の母国への愛とか献身とかはあるべきだと思うし
それが権力者達に美味しく利用されるのでなく、
この世界で傷付いた人たちのために生かされるのであれば
何より我々がどう生きるべきかの道しるべならば
なんら他国に恥じるべきでは無いと思いますがね。