go for broke

第442連隊というのがあった。
戦時中、ハワイの日系移民が強制収容所に入れられた訳だが、その中の主に2世が志願した部隊で、ヨーロッパ(主に伊太利亜)で激戦を繰り広げた。
兵員が半分になるような激闘。それでも異国での日系人アイデンティティーを守る為に戦った。
それは人種差別への戦いとも言える。
彼らは国の為に戦ったのではないと思う。自分たち自身の為に、家族の為に戦った。
彼らの戦意は訓練で得られるものではない。



それは海を隔てた母国の兵士も同じことだったのだと思う。
無論拝啓天皇陛下様みたいな兵もいたろうし、終戦と同時に自死した士官も少なくない。
でも、実際に戦って散った人たちの家族に接して、話を聞くうちに、
そんなチンケな理由で彼らが死んだとは考えられなくなるのだ。
若い彼らに自身に明確な戦う理由を説明出来た訳ではないだろうし、時代に流されていた部分は多々あろう。
でも、やはりうまく説明出来ないのだが、相当確固たるものが無ければ、ああいう生き方はできないだろうと思う。それが可能だったのは、彼らが全力疾走で、余りに早く死んでしまったからなのかもしれない。
彼らが20代半ばで書いた手紙を読むと、その筆跡、内容共に圧倒されるのだ。



問題の本質は、そういう人たちを忘れ去り、多くは顧みることの無かったこの社会のありようだと思う。
だから、次の世代はこう教えられた。
「お国のために死んでも、なーんもいいこたぁ、ありゃせん」
彼らは権力に抵抗し、個人的な幸福を最優先とした。
依って立つ企業への忠誠は尽くしたかもしれないが、戦争で死んだお兄さん方とは本質的に異なる。

その次の世代である我々は、だからよく考えなければならない。
盲従でもなく、脊髄反射的な反抗でもなく
我々は、よく練られた非の打ち所の無い復讐を遂げねばならない。
逃げるのも一法だと思う。
だが、砦から出て、レジスタンスに回るという選択肢もある。
そういった人がどんどん、知らぬ間に増えていく予感がする。