謝るということ

ある海外のドラマで、自分の過ちを100%相手に告白して詫びる事がアイデンティティーになった人物が出て来た。
結果その人物は幸せにはほど遠い状況に追い込まれる。どうして?彼女は極めて誠実に振る舞っただけなのに。

往々にして正直は美徳とされる。ある種の人間を感動させる。
しかし、トラブルの場において、片方が相手に正直を要求するのは、自分の正しさを証明して、自分の攻撃武器を増やす行為に過ぎない。彼らは自分の正義を信じて疑わない。彼らにとって100%以外は正解ではない。

そういった相手に100%正直に振る舞うというのは、バクダットで米兵が丸腰で装甲車から出て
「私はあなたがたを救いに来ました。だから撃たないでください。自爆テロも止めてください」
などとプラカードを持つ様なものだろう。

現実には現場は斯様なほどに荒んでいる。

100%正直ではない。でも嘘はついていない。そういった交渉の仕方を教わった事がある。病院のリスクマネージメントにおいて、である。
手術前にムンテラした相手と、結果がうまくいかなかった時の相手の顔ぶれとか、人数がまったく違う。
そのたび、冷や汗をかき、言葉を選び、家に帰っては意識を喪うほど飲んだくれる。そんな生活はまっぴらだ。


謝る技術というのは小手先に過ぎない気がする。
患者さんに手を触れる前に、考えうるリスクを全て列挙し、それを納得する相手だけに医療を提供する。
それでも、予知不可能なトラブルに対処しなければならない時が来る。
その時は、ひたすら頭を下げて、余計な事は言わない。


そんな医療に何の魅力があるというのだろう。