絶対者としての医者

学生時代、同級生が言った一言。
「医者は絶対者である」
すごく反感を持った。普段温厚で、ふざけたことばかり言っているのに、何でそんなこと言えるんだろう。


医者になって思った。彼は学生なのに何故そこまで深いことが分かっていたんだろうか。そしてそれを引き受ける重みも。


仕事柄、悩んでいる患者さんを相手にすることは多い。深夜原因不明の腹痛の患者さんが来た場合のこと。手持ちの情報といえば、血算と触診の感覚と、せいぜいしょぼいエコーと。それだけで判断しなければならないことがある。確信なんて何も無いのに「大丈夫」を担保する怖さ。これは年数を重ねるごとに重くなってくる。


例えば、初診時腹痛も無い、圧痛も無い、ドライケムのアミラーゼも正常、エコーを当ててもガスでなんだか良く分からない。でも何か変だ。入院させて翌日のCTでびっくり、膵炎だった。

なんてケースを経験すると、夜間救急でCT動くのに40分以上かかる病院で当直するのはもう無理だと思う。

ましてや、そんなケースですら、初診時に確定診断を下せなかったことを問題視するご家族が存在するのだ。
とうの昔に、医者は絶対者ではなくなっている。


今の患者さん達には神の無い時代に生きていることを御覚悟めされたい。絶対とか100%とかを要求したら、そも安心という幻想が存在する隙間など産まれる筈も無いのだ。
神ならぬ身ゆえ、そう考えざるを得ない。 しかし、そうでない患者さんも存在するのだ。M氏いわく、「大丈夫を担保してほしい人たち。」そういう人たちは宿命的に夜悪くなる。そういう方を相手にするジレンマに、当直医達は長い夜を悶々と過ごすことになる。