診療関連死の死因究明制度創設に係る公開討論会

ほとんど今の日本の新聞なりジャーナリズムが取り上げないところで、重大な論議が行われている。
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/17406.html
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/17446.html
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/17454.html

堤 晴彦氏(日本救急医学会理事)のおっしゃるように、医者が現場で行う行為の、何が違法で何が合法なのか、はっきりさせていただきたいということ。それを見て、現場の医者は勤務医なり救急業務を継続するかどうか決めますよ、と。
これが不遜なものの言いに聞こえるようでしたら、「私は神ではないです。疲労困憊状態では過ちを犯すかもしれない生身の人間です。かといって、私が当直明けで休めるほど現場には人がいません。こんな私が救急外来に出続けるに値するかどうか、教えてください。」とでも言いましょうか。

自分は38時間くらい寝ないでも絶対に過ちを犯さない。月に8回夜間業務をこなして、翌日通常業務をこなしても100%のパフォーマンスを発揮する正しい人造人間である、という価値観を持った人しか医師になれないのでしょうか。

医療過誤刑事罰としないのは許せない、という弁護士がいる。
「標準逸脱」が刑事罰となりうると。「何が標準か」は、医療界が考えなさいよと。かなり願望入っていますが、どうでしょう。法的にこの解釈はありなのかな?
率直に言って、すべての疾患に標準的な治療法というものが存在しない現状では、現場の裁量に任すのが一般的だし、むりやり標準化したら必ずこぼれる人が出てくる。
昭和20年代のあるポイントを設定したら、肺結核の空洞にピンポン玉を入れないのは犯罪、となりかねない。医療というのは試行錯誤と考察を繰り返し進歩するものです。ルネサンス以降の科学体系ってそうじゃなかったかしら。
あるいは、悪意による意図的な傷害行為のみを刑事罰で扱いなさい、という人がいる。こちらのほうが現実的な考えだ。

日々プレッシャーと戦い、苦心惨憺、十数個の総胆管結石を除去したら、バスケットその他の経費で赤字だった(80代半ばの開腹手術拒否の方ですぞ)。

自分自身を笑わないと、今の状況には耐えられません。