医療の物語性

最近思うのは、最近の医師ブログの主張の強さというか、熱さ。経済論とか司法論とか展開して、重厚長大。つい2年ほど前まではエスプリというか読み物としてとっつきやすかったと思う。今は、事実関係を並べるだけでおなかいっぱい。
もともとが弁証法で伸びてきたような人たちだから、その気になれば論文書くような勢いで例証を並べる。圧倒的だけど、自分のような上澄み派には追従するのが辛い。

これほどまでに医者が必死になっているのは、今まで自分たちを支えてきた、社会的枠組みが崩れつつあるためだと思う。医者もほかの多くの人たちと同様に、檻というか囲い込みの中で生きてきた。それがないと精神的に耐えられないハードな職業ではある。

いま一番重要なことは、精神の自由。所詮医者の世界なんて狭いもの。勤務医してれば、事実上病院と自宅の往復だから、本当に社会が広がらない。勤務医も自分の仕事の社会的意味について考えるべきだと思う。これほどの状態なのに、勤務医側からデモが生じないのはどうかと思う。一言で強引に言えば、まだ日本は表面的には「いい国」なのだ。実態はどうだか知らんが。
いずれにせよ、ブログがこれほど発展して、いろんな人の意見が聴けるのは、本当にありがたいと思う。

いま医者が世の中に問うべきは「医療の物語性」。現代日本社会の病みに相応して医療も苦しんでいる。物語とは、閉塞した状況で思いもよらない世界を展開して、精神的な救済を果たすものだと思う。混合診療とかに飛びつく前に、もっと自分のしたいことを明確化すべきだと思う。でなければ世論はついてこない。
あるいは「出来ないものは出来ない」と上が諸方面にはっきりと喧嘩を売るべき。
医者のやっていることなんて相当単純だから、問題を明確化して諸外国の例証を挙げれば、望外にあっさりいくかもしれないと思うのですが。