土下座しなくちゃいけないのは誰だ。

我々は必ずいつかは死ぬ。そして、それがいつ訪れるかは分からない。
ひょっとしたら、明日大地震が襲って、一族郎党悉く一瞬で死んでしまうかもしれない。

我が子を病で失えば、取り乱して当然だと思う。
誰かを悪者にして責め続け、もしや助かったのでは、と自問自答し延々と苦しむ。
誠にお気の毒だ。100年前、そんなことはなかった。
医学が進歩したせいであろうか?

これほど進歩して、なお、医学は完璧にはほど遠い。
確実に死ぬ病気の人がいて、医術を以て救い得たとしても、そこにはいくつもの幸運がひそんでいる。
以前も書いたことだが、
タイミングよく優秀なスタッフが揃っていて、施設が充実して、輸血も余るほどある。
スタッフが過労で目をまっ赤にしてるなどということなど考えられない。
無理難題で100%を求めるのなら、まず環境整備から考えないと。

僻地で孤立無援、徒手空拳戦っている先生方が可哀想だ。彼らは今日のおとづれを何ときくらん。