いわゆる「幸福な家庭」の脆弱性

類まれなる犯罪者が、獄中で自分で死んでしまった。誠に残念なことだ。色々な取り調べのしようはあっただろうに。彼女自身が自己を如何なる存在と言語化しえたのか、興味は尽きないのだが、その術は彼女自身により永遠に断たれた。


ある意味、彼女は人心操作という面でものすごい天才だったといえる。
彼女は、通常我々が接する精神病患者乃至境界型人格障害とは、明らかに異なる。
その種の患者さん達は、攻撃性を自己およびその肉親に一見無作為に向ける。
つまり、自傷行為とか家庭内暴力とか、DVとかだが、多くの場合、その対象は愛憎表裏一相で、衝動性をコントロールできない結果、自滅に至ることが多い。
件の彼女の場合、破壊の対象を思うままにコントロール可能だったのが興味深い。
彼女は巧みに対象を選択でき、とことんいたぶりつつ、自分は安全地帯にいることができた。
持続的存続可能ないじめっ子とでも言おうか。
それまでまったく関係のなかったはずの人々を巻き込んで、強引に関係性と言うか
因縁をつけて、「家族」に入り込んでいって、心理的な操作を及ぼす。
一切自己は損失を被らない形で、対象をぼろぼろにしていく手段手管が見事だ。
おそらく彼女自身、その行為というか悪魔性と言うか本質的な意味を自覚していたのだろう。
天才ゆえ、彼女は自分の安全を疑うことはなかったのだろう。
と同時に、釈然としない想いを残しつつ、すべてが無かったかのように忘却のセメントで
塗り固められるように事件そのものが地中深く埋められていくような気がする。
すごく不気味だ。おそらく、もっと深い闇がかかわっているのだろう。

同時に驚くべきことは、いわゆる「幸福な家庭」の脆弱さだ。
彼女が如何に手頃な物件を物色したとはいえ、当事者達に何かやりようは無かったのだろうか?
そこまで言うと、言い過ぎだろう。
おそらく、我々のすべてが、心理的操作の被害者になる可能性がある。
そう自覚しておいて、過分ではない気がする。