37歳で医者になった僕

題名に興味があったので、見てみました。
医者を目指すというのはある意味業だと感じていました。国公立大学医学部に社会人経験者って結構います。で、感想いってみます。


カンファレンスで外国語ダメなんですか?我々はそれをテクニカルタームといいます。カンファレンスの目的のもう一つは、研修医のプレゼンテーション能力を高める事です。短時間に要領よく患者さんの情報を伝達する訓練です。新米研修医にはプレッシャーですが、傍目には冗長で要領を得ないので、睡眠不足の医局員が居眠りしても無理の無い話です。
自分もメモしまくっていた研修医時代が懐かしいです。その時突っ込まれたのは、「必要ないでしょ、医者は接客業じゃない」ではなくて、「そんなことしていたら、実戦ではとても対応できないヨ」でした。
草なぎ君のバックで変質者の看板、吹きました。
被殻出血の患者さんの演技は地味にすごいです。主人公の彼女の演技も悪くない。
胃ろうの説明のアニメ、ナイスです。
患者さんとどう接するか?コミュニケーションの距離が、研修医の悩みでしょう。医者というのはある意味絶対者で、とてつもない重い責任を背負います。そのような現場に突然放り込まれるんですから。そういう意味で、仲良くしすぎても良くないというのは、ある意味真実です。社会人経験者の研修医と仕事した時、それを痛感しました。彼らは外見で得をしているように感じたのですが、社会経験を積むということは、例えばチャンバラの間合いを見切る修行の様なものでしょう。彼らが草なぎ君のような静けさをまとっていたのは、ある程度真実です。


でも、その他は突っ込みどころ満載です。
コミュニケーション能力があれば嚥下能力あり、というのはいささか無理があります。
今回のような問題が大学病院で起きたら?
耳鼻科に嚥下造影検査してください、とお願いして終わりです。施設によって若干違うでしょうけど。でも、研修の先生がリスクしょっていただく必要は全然ございません。NSTがでてきます。STの方とお話しすると、本当に勉強になります。本で読む知識だけでは駄目。
さらに、仮性球麻痺で、胃ろうを立てて、嚥下訓練ののちに経口摂取可能となり、胃ろうを抜去という患者さんは、少数ながら存在します。ただ、大学病院でその全経過をみるのはきついかもしれません。固形物は経口、水分は胃ろう、という患者さんも結構います。
胃ろうに関しては言いたいことは色々あるけど、意識があるけど球麻痺もある、という患者さんにとっては、決して悪くない選択肢です。


教授回診の前の徹夜の理由は?患者さんの経過と検査データーを淀みなく答えるためです。教授が研修医に質問しないなんてありえない。


インフォームコンセントにしろ、セカンドオピニオンにしろ、患者さんが医者に判断を委ねた時点で患者の負け、という台詞はいただけません。ちょっと考えれば、医者がそんな言葉を吐く必要すらないことは自明です。正直なところ、医者のジレンマは別のところにあります。現状の流れでは、一通り病状と治療法の選択肢、そのメリットデメリットを説明した上で、患者さんに治療法を選んで頂きます。ただ、医者でも判断が難しいケースもあるわけで、それらの判断を患者さんにして頂くのはちょっと酷なこともあります。患者さんが明らかに不利益を被るような選択をした場合、かなり苦しみます。でも、それを口にすることは医者の傲慢ではないか。云々。こういう思考回路を青い、というのです。たぶん。
個人的な経験ですが、ある師匠の忠言で、そういったジレンマから一歩身をひくことができ、ずいぶん楽になった気はします。


原作を読んでないから、分からない部分もあるけど、脚本を書いた人は、無駄に医療者と患者の対立を煽って、一体どうしたいのでしょう?
原作のレビューを見てみましたが、医者とそうでない人の見解はものの見事に分かれているようです.印象的だったのは、「本当の医者が書いたものを世に出すべきである」というひとこと。


真実を損なわずに物語化すると、筋書きが散漫になり、物語の訴える強さを失う可能性はあります。傲岸不遜な鼻持ちならぬ医者の世界を、おもしろおかしく描くのもいいでしょう。
でも、そのようなステレオタイプな世界観から抜け出したとき、新たなドラマツルギーが形成される可能性もあります。それって面白くないですか?
脚本を書く人が根気強く、分からず屋で偏狭で世間知らずのある種族とコミットして、よりよい作品を作られることを期待しております。