無資格ということ

被災地で働いていた自称医師が無資格であったと問題になりました。
無資格医については、過去お話ししました。
http://d.hatena.ne.jp/haohao_x/20100509

医者と言う響きは、何か魅力的なんでしょうね。
でも、内実は地味な技術と知識の積み重ねなんですよね。
見よう見まねでまねごとは出来るかもしれない。
でも、迷いなく侵襲的な行為をするには、知識と経験が必要で、
やはり場数が大切です。
その辺を多少なりとも想像できれば、少なくとも偽医者をしようなんて
発想を持つことすらできないはずです。


最近建築に興味があって、専門書を読み漁っています。
分かったのは、この分野も地道な基礎知識と実践と
先達からの教えが非常に大切だということです。
きちんとした仕事にはノウハウが必要です。
水糸とか、遣り方とか、知識のない素人には何をしているのか分かりません。
分からなければ見えず、見えなければ存在しないことになってしまう。
薄汚い板きれが、実はミリ単位で存在しているなんて。筋交が重要なんて。
基礎ができたとして、土台がきちんと乗っかるのか?
アンカーボルトがきちんと土台の穴に入るのか?
立てた柱に梁がきちんとはまるのか?
考え出すととても不思議なことなのですが、職人の伝統と
伝承がそれを当たり前のことにしています。


そうでない現場がありました。
科学技術の粋を集めたと思われる、原発です。


あと、建築士資格を持たない方が建物のデザインを行ったり
専門を建築設計と名乗ったり、ということがあるようです。
これは、詭弁というか、信じがたい話です。
まじめに仕事をされている大工さんを愚弄している話です。


問題の論点は、資格があるなしの話ではなく、
建築というのは、医学と同じくらいに細かい地味な知識の
積み重ねですから、その欠如が重大な結果を招きえる可能性が
十分ありえるということです。
下積みが無い偉い人にはそれがわからんのですよ。
当たり前の事を当たり前にするって、やったことのない人には
想像できない世界です。そういうことを知らない人が
建築デザインをしたら、それは恐ろしいことになるでしょう。
誰か資格を持った人が同じ組織にいればいい訳ではありません。
(志村軒みたいな話ですね。)
ボスがきちんと指導しなければ、下の仕事の質は担保されません。


ですから、そういう人が政治の世界をデザインするという意志を
お持ちの事にうすら寒い気がします。
やりたいと思うことは個人の自由かも知れませんが。



個人的には、地味な知識の集積を軽んじない政治を希望します。