いわゆる完全犯罪について

夜更かししていたら、偶然刑事コロンボを見た。
時々、印象に残るシーンが現れ、連鎖反応的に昔住んでいた家や、4本足のテレビや、こたつのみかん皮や、障子戸や、卓をを囲んでいた人たちを思い出す。
当時の日本のドラマとは一線を画すストーリーが評判だった。
映画の右上のパンチの存在に気づいたり、建築現場のパイルを眺めたり、子供にも色々発見のあるドラマだった。

コロンボの口癖。
耳を傾け、見て、見て、耳を傾ける
狡猾な犯人達は気づかぬうち、犯行現場で複数の痕跡を残す。テレビを見ている我々は、往々に見えているはずの矛盾に気づかない。
それに比類ない注意力で「ひっかかり」トリックを暴く。で、あっと驚く結末、という仕掛けだ。
犯罪者には色々事情があり、視聴者は気づかぬうちに犯罪者に同情し、コロンボが悪魔のように見える話もあるのだが。

そう、一番大切なものは「見えない」ことが多い。それを意識することにより、おぼろげに存在が明らかになる。それを「想像力」とも「問題意識」ともいう。世の失敗の過半数はそれらの欠如である。大概はことが起こった後に必死になって気づくのだが。
そんな不幸を後であげつらうことは容易だが、自分がその場に立ってすべて冷静に指摘することが可能か?ひとつくらい見逃しがないか?(昔1回見ていたとしても!)完全犯罪というのは難しいものだ。
そう思わせるのが、この古臭いドラマが今に至って生き続ける所以だろう。
でも、我々は完全(犯罪)を求めてしまうものだ。宿命的に。


閑話休題、この作品で本当に傑作なのは、ヘンリー・マンシーニのテーマ曲と思う。
この曲と「ピンクパンサー」を知らない同世代はいない。