医療の透明性と経済と

ある企業で、事務室なりバックヤードが外から丸見えの建物が建った。最初風通しが良いと評判だったのだが、従業員から異様なストレスと疲労感を訴える者が続出して、職場の雰囲気が悪化。遂にはガラスにスモークが張られたという。

最近目につくのは「今一番医療に必要なのは、医療の透明性である。データは患者自身の物にすべきだ。医療の崩壊を避けるには、IT技術の導入やレセプトオンライン化が必要であり、それに抵抗する医師会は退場すべきだ」などという論調。
一面の真実はあるが、他方では同じ口で「医者の給与は高すぎるから下げよ」と言っている。どうも霞ヶ関電子カルテ業界が支援している団体の影がちらついている。あと天下りの面々。
既に患者さんがUSBメモリーにDICOMデータやら電子カルテのpdfコピーを持ち歩く時代にはなりつつある。しかし診療情報共有にはDICOMみたいな統一したフォーマットが無いと困るのだが、現状では統一は前途多難。
結局情報は患者個人が管理するしか無いと思う。現実的には。
一部医療機関で、先進的な医師が実験的な試みをするでけでニュースになるご時世である。
ということは、あと3−4年くらいでそういったことが一般化するという考えもある。

まあ、そういう時代になって、正しい医者が生き残り、悪い医者が淘汰されるというのは勝手な幻想だろう。
どれだけ医療業界を脅しすかし衣を剥ぎ取ろうとも、悪事は消えないだろうし、ごく多数派の無意識なミスを暴き立てることは、別な結果をもたらすだろう。



医療情報を統合して、正確に実態を把握するのは大切だが、そのことが医療費の無駄を省き、医療崩壊を防止するというのも無理があると思う。
複雑怪奇な矛盾だらけの保健医療制度を長年だましだまし使って来て、当の医療者も全体像が把握出来なくなっている。医療を点数や加算でコントロールしたい優秀なお役人様を除いては。


保健医療制度を業界外の人間には理解出来無いのも当然だろうが、そのブラックボックスを「医療の鉄のカーテン」呼ばわりするのはちょっと違うんじゃないかと思う。だって、自分も医療を学ぶことには熱心だったけど、保険制度はからっきし分からなかった。それが最近意識されるのです。


保険制度をもう少し簡便な仕組みに換える努力は必要だと思います。問題は、医療をコントロールしている人たちからはそういう反省や意志がさっぱり感じられないことです。
何かの問題が生じて、場当たり的にパッチを当てて、それの繰り返しで、医療報酬制度は、頭のいい医療事務員しか理解出来ないブラックボックスと化しています。

現状の運用からは「我々の作り上げた重厚壮麗なシステムに全面的に同意するなら、保険診療させてあげても良くってよ」としか感じられませんし。



##最近の風潮として「社会福祉が潰れても困るから、適切な負担は必要」と考える人が徐々には増えてきているようです。アメリカ並みのGDP比16%などは論外だが、ドイツフランス並みに10%強は必要じゃなかろうか。日本は急速に高齢化が進行しているのだから。現在の経済の趨勢から考えると、必然的にそうなるでせうが。


「消費税は上げない」「後期高齢者医療制度は廃止する」から始まった現政権ですが、負担を増やさず高度化する医療を維持出来るなど、夢みたいな話は不可能と思っている有権者も若干いるのでせう。
http://s04.megalodon.jp/2009-1124-2314-01/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091124-00001048-yom-pol

参考資料
ttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1900.html