医者にとっての生き甲斐

医者にとっての生き甲斐はお金なのか?地位なのか?


別に感謝を求めて仕事をしている訳ではない。
世の中とは不思議な物で、本当に大事なきつい仕事をしている人が、それに見合った報われ方をしていないのは往々であります。

何年か前、医師の開業条件に僻地勤務を加えては、という話があったようです。僻地の医者はそれを聞いて喜んだでしょうか?とんでもない。
「僻地の医者をなめるなよ」「俺たちが何の為に僻地で頑張っているのか全然理解していない」ほとんどがそういう反応でした。
そういう案を出した人たちは、僻地医にこれっぽちも感謝していないどころか、上から視線丸出しなのでした。案の定、その案は立ち消えとなりました。


最近何やら医者はかくあるべしという議論がかまびすしいですが、本質的な視点を欠いているゆえ、薄っぺらい気がします。医者の強制配置を唱えるのは結構。ですが、僻地そのものが縮小しつつある現状では、必要な医者数はそう多くない。何らかのインセンティヴを設けて都会の生きのいい医者をローテーションさせる方が現実的です。研究ばっかりしていないで、数年釣りをするのも良い医者になる鍛錬だ、とか適当にでっち上げて。
どちらかといえば、僻地の医療機関をリモデリングして、現状に見合ったサイズに変更する方が先なのでしょうが、そこになにやら色んな問題が潜在しているようです。僻地で病院職とは、鄙には稀な都会並みの収入を得る手段。で、僻地病院は、ほぼ官立であるとか。

最近の「報道」の流れに、医者の強制配置論は僻地とか産科とか、そういう「ありえない待遇」を正当化する恣意的な姿勢を感じてなりません。数年前ならそういった話を聞いただけで全身の力が抜けたものですが、さすがに今となってはもう何も感じないです。


20年ほどの勤務医としての仕事に於いて、患者家族から、努力とか労力とか「仕事の内容」に見合った感謝を受けた印象はあまりありません。医者の仕事の本質が理解困難な為でしょうか?逆の事は散々ありましたが。
今、医師を目指している人に是非言って聞かせたい事。「感謝を求めて医者になろうと思うな」。


不思議な事に、最近患者さんから感謝されることが以前より多いです。場末の夜間診療所でニコニコしながらお話を聞いて、湿布とかアセトアミノフェンとか葛根湯とか処方しているだけなのに。どう考えてもおかしい。


まあ、率直に言いますが、本当に厳しい条件で働いている勤務医は全体の数割でしょう。だからといって、勤務医の生活がそれほどきついんですか?と真剣に言う人がいたら、小生は悲しいです。
実のところ、本当にきついのは患者さんとかご家族なんだけど、それを支える仕組みが余りにも貧弱で、その怒りのおつりを勤務医がいただいている、という図式なんだと思うけど、どうでしょう?