死を考える

自分自身の死とか死後の世界を考えて恐怖におののく生き物は人間くらいだろう。
あるいは、「不老不死」などというものを望むのは。


医学というのは、死を後のばしにする学問/技術体系であろう。
死は避けられない。理不尽だ。そしていつ来るか分からない。
死は前よりしも来らず、かねてよりうしろに迫れり(徒然草


先週のNHKサイエンスZEROは、生物学的見地から、死を語る、興味深い内容だった。
大腸菌には「死」は無いという。同じ遺伝子のコピーが延々と増殖する。
個体としては消滅しても、クローンがわんさか増えるイメージだろう。


生物が「死」の宿命を担わされたのは「性」が生じてからだという。
なんだか、アダムとイブの話みたいで意味深だ。
性とは、遺伝子をシャッフルして、親にない遺伝子の組み合わせを作る作業とも言う。新たな組み合わせ、ヴァリエーションが、可能性を引き出す。
大腸菌も、接合というメカニズムがあるし、突然変異で新たな可能性を作り出す事が出来る。しかし、有性生殖とは似て非なる物だ。



個人的な話だが、息子達を見ると、みな面白いくらいに違う。
そして、それぞれが違う可能性を持っている。
それらは、大自然における、たった一度きりの一投なのだ。


自分自身、人生の半分は生きてしまった。と思う。
残り時間は、だれも教えてくれない。
多くの宗教は、そこに何らかの答えとか整合性を求めているのだろう。


しかし、我々は単に、次の世代へ「受け継ぐ」存在にしか過ぎない。
原始の星の死が新たな元素を生み出す様に。



ちなみに再放送は5月1日19時からです(多分)。興味が湧きましたら、見てください。