死と向き合う

今日のクローズアップ現代で、最近死を扱う映画や小説が注目されていることを知りました。
青木新門さんという方が、納棺夫日記という本を書かれたそうです。
青木さんは、死者を扱う仕事を通じ死と向き合うことの大切さを訴えています。死と生を峻別し、生のみに価値を見いだす現在の風潮が様々な事件を生み出しているのではないかと。
それをモックンこと本木雅弘さんが読んで感銘を受け、映画化され、有名な賞を取ったのは周知の通りです。
それにしても、映画の中のモックンは同性から見ても余りにも美しいと感じます。以下は番組の内容。
##

多くの人が死と向き合いきれない現実がある。
ある大阪の男性の話。親の離婚をきっかけに母の合を受けずに育った。母が死んでも涙が流れなかった。
親というのは完全でなくても子をいとおしみ、愛しているもの。そう気がついたとき親の死と向きあい、その人が如何に大切だったか実感できたという。そうして心から親を送り出すことが出来た.


中沢新一氏が解説する。
現在、死の重さが多くの人々の心をとらえている。この領域は、今まで映画化されてこなかった。だが、ここが日本文化の大切な所である。
日本文化とは、死とか無とかを中心にとらえていることにより、生者と死者が一体となったような文化である。ある種のやさしさ、例えば死者とか敗者にやさしい感情を持つような、死者への深い畏敬の思いが日本文化の核心部にある。今までそういった要点は秘められてきたのだが、隠してきたものが一気に表に出たのが現在の状況ではないか?これは日本文化の突破口であろう。
お盆は死者を迎える儀式だが、文化の形というものは、ある部分がからっぽで無意味であり、外面の形がきれいに整えている。そうしてパッケージすることにより死者と生者が行ったり来たりできる。
「死者を送る」という儀式において、死者を化粧することにより、死を客観的に見れる様になる。
死という現実を受け入れると、客観化の光が差し込む。相手の気持ちを客観的に見ることが出来る。そうして人間的な関係の完成に向かう。


続いて、天童荒太さんが登場する。著作「悼む人」が話題となっているという。
若い主人公は、見ず知らずの人の死、生前の姿を尋ねて回る。彼が必ずする質問は「その人は誰に愛され、誰を愛していたか、どんなことで人に感謝されていたか」の3点。
天童氏によると、その著作の原点は9-11だという。
どんな死にも分け隔て向き合うこと、「人の死の平等」が世界平和につながるという。人の死に軽い重いがあること、人の死を尊ぶことができない世界が戦争につながるという。


小さい頃からの出来事を思い返して、自殺した兄の死を受け入れることが出来た女性が登場する。
その過程を通じて、他人の死にも理解ができるようになった。その人がどういう生を送ってきたのだろうかと考えることが、生きることへの謙虚さ、かけがえのなさにつながる。


再び中沢氏登場。
日本人には今まで「最低で最高のセーフティーネット」というものがあった。たとえば阿弥陀様とか、死後の世界。現在、死後の自分を受け入れてくれる物があるのか、不安があるという。
誰かが自分がいなくなっても悼んでくれることが安心感につながる。


##
記憶できた範囲内で書き出しているので、違っている点があるかもしれませんが、ご容赦を。
こういったテーマを30分で凝集して伝えるというのは正直辛いな、と思います。
今まであまりに忘れられ、軽んじられてきたことを、これだけで終わらせていいはずもないでしょうし。