人生を捧げる人たち

某有名ブログのコメント欄で、「普通の技術者」の定義、および医者との関連で盛り上がっています。
医者は職人なのか、聖職者なのか?

聖職者ってのは厳密には人生を宗教に捧げ、それを生業とする人達を指すわけで、医者とは本質的に違いますよ。
医者にあって一般技術者にないもの、医者と聖職者に共通するものは他人様の生き死にと直接対峙する機会。
生死の狭間で患者や家族が医者に期待する精神的なフォローはきちんとするべきだと思います。
しかし、仕事を離れても聖職者同様に振る舞うのはむり。

聖職者は生きざまが求められる職業。医者はやっぱり職人かと。

このコメントを書いたのはおそらく医者でしょうね。
某国の政治家が日本の医療者の働きぶりを見て「聖職者さながら」と言ったのは有名な話です。
今の日本の惨状は医療者も受ける側も、何か認識を誤っていたからのような気がします。
もちろん扶氏医戒のような高い職業的倫理観が必須なのは間違いないのですが。


現在の私自身、自分の人生を100%医療に捧げるのは無理です。
そんな私も、医者になって数年目、人の生き死にが掛かってきた頃、妙なことを考えました。
「自分の人生が半年短くなっても良い。神様、目の前の患者さんを救ってください。」


X線をシャワーのように浴び、48時間とか60時間とか気の遠くなるような連続勤務を支えたのは、どこか逝っちゃった倫理観の賜物だったのでしょう。もちろんそれが良いとは言いませんが。


思えば、我々は小さい頃から、我と我が身を犠牲にして、他人の為に働くことが最上の善と教えられてきました。そういう倫理観は多くの人が持つところしょう。


医者という職業が子供達にある程度人気なのは(女子で看護師でそうであるのと同様)善をなす機会の多い職業と考えられているからでしょう。


医者になる為に4浪も6浪もする人間がいるのです。医者のステータスというのは、誰もが取れる資格ではない、それゆえ自己犠牲が求められることを前提に語られてきたのでしょう。


そういう倫理観の持ち主が医療の崩壊を目の当たりにしても、真実を理解するのは困難でしょう。
難中の難です。とはいえ、

「俺は格好良く戦えればそれでいいんだよ。俺たちの医療がどうとか消えるとか、そんなものに興味はねえ!」

そう嘯いて現場に立ち続ける医者も未だにいるわけで。はは。