大丈夫という言葉

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周産期医療の崩壊を食い止める会/第四回公判について

もう裁判開始から1年以上経ちますか。早いものです。実際にこの裁判に関わった人たちは、そんな呑気な感想とはほど遠いことでしょう。


大丈夫、という言葉は不思議な力を持っていると思います。
絶望的な状況で、もう逃げ出したくなるような状況で一言「大丈夫」とつぶやく。
混乱し、真っ白になった頭が、徐々に醒めてくる。
精神の安定が、苦境を乗り切る力を与えてくれる。
言霊ですな。

だから、執刀医が「大丈夫」と言っても、危機感を感じていないという訳ではないでしょう。ましてや、今後の展開に絶対の自信を持っているはずがない。古い何かの本に書いてありましたが「医療は祈りである」。現在でもギリギリの所で我々は祈らざるを得ないことがある。
逆に「大丈夫と言ったのに死んだのはミスがあったからだ」そういう風な文脈に持っていくこと自体、医療に対する冒涜だと思います。その悪意の深さに、心底寒さを感じます。



医療の是非が本質を離れ、第三者的な人間の言った言わないで争われる。
現場で戦ったことのない人間同士が、言葉尻だけで争い、咎の有る無しを決める。
こんなことはいいかげん止めにしませんか。