胃瘻について

内視鏡的胃瘻造設術が一般的になったのは、1990年代半ばだったと思う。
それ以前は、経鼻胃管だった。
それら以外の選択肢として、中心静脈栄養がある。しかし、今のような洗練された使いやすいデバイスとはほど遠い世界。
アーガイルのCVカテはピールオフではなく、外套針がカテーテルについたまま固定するという代物だった。
シラスコンのカテーテルは、金属針から挿入するのはいいが、引き戻すのは禁忌だった。外套針の先端でシリコンカテーテルをぶった切って、先端が流れて行ってしまうという事態が続出した。
そんな時代だから、胃瘻が登場したとき、何と素晴らしい手技が出現したんだろう、と感動した記憶がある。
以後胃瘻を造りまくった。多分1000くらい立てたのではないか?
在宅に移行する患者さんのために、開業の先生方と交流したり、スタッフたちといろいろ検討したり。パスを作成し、半固形化や寒天を試みたり。あのころは楽しかった。いつから胃瘻が楽しくなくなったのだろう??


現在胃瘻の是非を問うみたいな風潮になっている。当然のことだと思う。個人的な希望だが、やはり皆さん元気なうちに「経口摂取不能になった場合どうするか」きちんとした形で意思表示をして、ご家族とよく話し合っておいてほしい。

胃瘻が駄目な場合、患者さんが枯れていくように衰弱するのを見て行かなくてはならない。(あるいは、低たんぱくでむくむくに浮腫って血管も取れない状況になる。)そういうつらい状況で看るには、今の現場には余力がなさすぎるし、ご家族も含め、精神的なバックボーンがない。だから、胃瘻を希望しないご家族は、1-2%もないような気がする。


現実問題として、今の急性期病院は一日も早く患者さんを退院させるよう、半端でない圧力がかかっている。諸般の事情でご家族が介護できない場合は、機械的に胃瘻を造って施設に送るしかない。今の施設に誤挿入や逆流のリスクがある経鼻胃管の患者さんを受け入れる余力はないから。

医療現場ではそのような状況に激しく矛盾を感じているし、モチベーションを削がれ続けているのが現状。

今の日本の死生観の希薄さに対する疑問も含め、様々なご意見はあるのでしょうが、あと15年もすれば「寝たきりさんほぼ全員に胃瘻を立てられた時代が日本にもありました」と遠い目で思い出すことになるんだろうな。