文化の相違

かって、オリンピックで、ドゥイエと篠原の対戦のあと、篠原が「自分が弱かったから負けた」と発言したことがあった。
フランスのマスコミは「篠原は負けを認めたじゃないか。ドゥイエの勝利は正当だ。」と、まくしたてた。
別に自分は柔道に詳しい訳でも自国の選手が負けて悔しい訳でもないが、その姿勢には感じる物があった。
国内では、審判を責めず、自分に厳しい潔い態度と評されるだろうが、海外では概ねそうはならない。そもそもそういう美徳が一般的ではないから、なかなか理解されないだろう。
文化の違いと言うか、海外に出ると色々と唖然とする様な目に遭うらしい。何事にも面の皮が厚いに越した事はないのだ。

http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000910050007
さて、この記事を読んで、いくつの疑問を数えましたか?
まず、御亡くなりになった中学生には慎にお気の毒であるが、蘇生の可能性はあったのだろうか?
23時に、潤沢なスタッフがいるわけでもない診療所に、受け入れの義務があったのか?
救急隊員と事務スタッフの伝言ミスが所長の責任なのか?
そもそも財政破綻し、病院を維持出来なくなった自治体の責任は??
それらの疑問を吹っ飛ばすのが、M所長が判断ミスを認める発言をした云々。

http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20091005hog00m040007000c.html

伝達ミスがいつの間にか判断ミスにすり替わっている辺り秀逸ですなぁ。
部下のミスは自分のミス。美学であろう。
もっとも、M所長は常々「時間外に医者かかるのが当然と思っている患者さん」をたしなめる発言をされていたと思う。今回も、診療所が無くなる可能性に言及されている。そういった姿勢が、敵を生んだ可能性は十分有り得る。
いずれにせよ、マスコミは水に落ちた犬を見逃さないのであった。