安全の確保について

事故とは、危険源と人が接触することにより生じる。
多大な慣性質量を有する自動車を、人間が動かすから事故が発生する。人間が自動車を動かそうとしなければ、交通事故は生じない。今の技術で自動車事故を0%にするには運転という行為を禁止するしか無い。
無論これは極論で、人が自動車を動かす以上は事故は避けられないのは承知の通りである。今まで自動車には多くの改良がなされた。シートベルト、ディスクブレーキ、急ブレーキを踏んでもタイヤがロックしない仕掛け、急発進してもタイヤが急転しない装置、滑りやすいカーブでは駆動力を調節する機構、車体の改良、エアバッグ、その他諸々。多大な費用を投じ研究開発がなされ、この乗り物は以前より遥かに安全になった。それでも自動車事故は無くならない。
ミスというのは人が絡む以上なくせない。そもそも立派なミスなど存在しない。あるのはケアレスミスだけだ。ヒューマンエラーというのは、あくまで原因ではなく結果である。その辺に対するマスコミの批評に意味があるのだろうか。
安全教育、危機予知(KY)など様々な事が言われているが、人の側でリスクマネージメントすることは限界がある。もう一段レベルを上げるには機械化が必要である。冗長性が必要である。それでも盲点が生じる可能性はある。
多くの医療機関で患者識別にバーコードシステムが導入された。そのコストはどこから出ているのだろう?仮に出ていたとして、高価な機械の導入や維持に必要な分だけあてがわれているのだろうか。浅学非才故よくわからないのだが、現状では医療機関側の持ち出しが少なくないと思われる。つまり「安全対策には金がかかる」。そこをスキップして精神論に頼る意図が良く分からない。
http://s03.megalodon.jp/2009-0626-1016-06/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090624-00000089-mai-soci
<患者取り違え>08年は報告27件…防止ルール風化か 6月24日19時53分配信 毎日新聞

あくまで批評する側はロハなのだ。
医療機関から多大な金を集めている日本医療機能評価機構殿が医療事故防止にいかなる貢献をなされているのかはよく分からない。それのコメントを丸写しにした記事にいかなる意味があるかも不明である。
ただ、この手の記事を書くのなら、ヒューマンエラーに対する知識、考察がなされなければ、現場を離れた蜃気楼みたいなものだろう。この記事を書かれた記者殿は、そうした専門家にコンサルテーションされたのでしょうか。であればもう少し格調高い一文をものする事が出来ると思うのですが。