伝わる、ということ

はじめに言葉ありき

次に、それを伝えてくれる道具がある。
ボクがそれを使って書いて誰かが読んでくれる
誰かが「ああそうだなー」と思えば読んでくれるけど、
逆の気持ちなら黙殺してしまうかもしれない。
あるいは、全くかけ離れた話をしても、通じないかもしれない。
ものごとには、成し遂げられる「時」というものがあるのだ。

疲れきった夜中に駄文を書き連ねているけど、
たまに人の心を動かせるものがあればいいだろう。

これを書いているボクは昼間仕事しているボクとは別人だ。
昼間仕事しているボクはニコニコしているし、あまり弱音も言わないし、ほとんど文句も言わない。気弱な偽善者だ。

正直仕事には疲れきっているし、肉体も精神もボロボロだと思う。

今、ボクが「勤務医はしんどい」と言っても、それを聞く人たちはそんなに真剣じゃないと思う。だから「珍獣の咆哮」ならぬ「ごまめの歯ぎしり」だ。

以前大学で朝7時から夜中まで時給1000円にもならず日々雇用で耐えられたのは、自分が何も知らず何も出来ない存在でいることが嫌だったから。歯車の一部として動いているうちに、いつしか自分の希望といえるものが消滅してしまった。

勤務医が人間らしく余裕を持って、勉強する時間もあって、子供と過ごす時間もあって、というのは本質的にかなり難しいのだろう。
自分のしている仕事が本当に意味がある、と思えることが大事だと思う。

今までそのように考えてきたし、今後もそうありたいと思う。