この悔しさ。

残念ながら、僻地医療崩壊とか小児科崩壊とか、産科崩壊は何年も前から既定路線であった。
矛盾は蓄積され続けていた。
それは、なにがしかの犠牲を伴う儀式だった。
潜像が顕在化するには針のひとつきで十分だった。




それでも、幾ばくかの優秀な(つもりの)医者が「人を救いたい」という野望と少しの勘違いと派遣機関の思惑で僻地におくられる。
医者の側は「こんな時代にわざわざ僻地に来たのだから、後ろから撃たれることはないだろう」と薄々思う。





名もなき一臨床医にとって、刑事罰で逮捕されるなんて、マシンガンで穴だらけにされるに等しい。
起訴されたなら、逮捕されたなら、正々堂々と戦えばいい、と部外者がいくら建前論を言おうが、世間やマスコミは「逮捕=罪人確定」の扱いで言いふらし、その人の評価を決定づける。気の弱い人なら、自殺してしまうかも知れない。




医者の遺体が確認された時点で、派遣元の長は「認識不足でした」と声を落とす。「彼だけは大丈夫だと思っていた。すべて私の責任です。」



ここ数年、酔っぱらって若手医師に
「僻地が医者を鍛え一人前にする。医者の成長の一時期には僻地勤務が必要だ」などとクダを巻き、白い目で見られたが、もしかすると私は間違っていたのかもしれない。
臨床一般論だが、ハイリスク患者は病態が予測困難なことが多い。そして重症化したら、しばしば搬送不可能である。
挙げ句、大学などは人手不足を理由に引き取りを拒否する。
そこから自分一人頑張るのが僻地の医者だと思っていたが、正直この風向きではお勧めできない生き方だ。



世のため人のため、前向きに生きる若者の命が失われる。
彼は人として本当によくやったと思う。でも、この悔しさは何なのだろう。