病院で死ぬ事

病院でのお見取りの話。
基本的に自分は、受け持ち患者さんの最期は見届けたいと思っていました。
ただ、それが負担になってオーバーワークになったら本末転倒、という意見も理解できます。
勤務医が体と精神を休め、翌日の患者さんに万全を期すなら、そうすべきでしょう。すごく合理的な考えです。
しかし、患者さんの側から見ると、そうでもないかもしれません。

以前受け持ちの肝硬変肝癌の患者さんがいらっしゃいました。
深夜ご自宅で急変され、病院に電話。当直事務は満床を理由に、小生に連絡する事無く、別の病院の救急外来受診を勧めました。
小生としては忸怩たる想いですが、ご家族はそれに従い、別の病院でお亡くなりになりました。

後日、ご家族がお見えになられ、病院の対応に付いてかなり責められました。
なじみの病院、なじみのスタッフ、なじみの医者がいる環境なら状況をすぐ理解してもらえた。安心して最期を迎える事が出来た、と。



1)それは、現在の医療体制ゆえ、病院が空床率を極端に切り詰めた運営をしているからです。
2)病院経営の合理化(?)で、当直帯の対応は、状況が分からない外部嘱託の事務員が担当しています。臨機応変の対応が困難かも知れません。
3)療養病床等の後方施設が切り詰められ、どこにも行き場の無い高齢の患者さんが病棟を占拠しているのです。


そう説明できれば、どれくらい楽だったでしょう。辛い時間でした。




勤務医の辛さは、単に労働条件のきつさだけでなく、現在の医療情勢の抱える矛盾のひとつひとつに直面し、対応していかざるを得ない、ということです。自分に責任が無い事も含めて。

医療の無駄を省け、合理化せよと大号令を下す人たちには、そんなミクロな話は想像も理解も不可能でしょう。



これから、超高齢化社会が到来します。つまりお亡くなりになられる方が増えていきます。
核家族化で、人の死を経験した事のない方々が、愛するご家族をお看取りになるご苦労・心労は察します。
ただ、これから先、病院でのお看取りは無理かもしれないです。患者さんの絶対数が増えるも、受け入れ先の病院の内情はボロボロ。新型インフルエンザと似た構図です。


以前「菊花病院、地中海病院」という秀逸な掌編を取り上げましたが、それ以外の第三の選択肢、つまりどこにも運べず、受け入れてもらえず、自宅の畳の上で最期を迎える、ということも大いにあり得る訳です。


厚生労働省の元お偉方がなにやら在宅死について書かれています。

http://nuttycellist.blog77.fc2.com/blog-entry-1423.html

ある意味理想論ですが、それを受け入れる開業の先生方がいらっしゃるか?あるいは、経済界のお偉方が提唱する「開業医生殺し政策」が実行され、彼らのモチベーションが失われたとしたなら。あるいは Winner takes all の世界となった場合、日中100人の患者さんを診ている、流行ったクリニックの先生方が、24時間お見取りのような、地味で大変で愚直な業務に尽力されるでしょうか?
物事が円滑に運ぶには、現場の尽力もさることながら、ある種の冗長性が必要と思います。

政令指定都市レベルでは、在宅ターミナルのクリニックもあるとお聞きしますが、人口数万の当地では依然厳しい話でしょう。

偉い人たちは、一体どうするつもりなんでしょうね。